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2024/09/25

ぐるっと日本を旅してみた Vol.30

2023年7月21日(金) 30日目

12年前、友人と約束した。

「行くから、必ず行くから」と、

それから 12年。

ようやく陸前高田市に足を向けた。

行って良いのか?と、自分の中で押し問答を繰り返す 12年。

その地はもう目の前。

旅を始めてから1ヶ月が経とうとしていた。

 

釜石大観音

背の高い巨大な観音様が海を見つめていらっしゃる。

釜石大観音は、その手に魚を抱いた魚藍観音様だそうだ。

じっと海を見つめ続ける。

12年前のあの日。

見つめる先に何をご覧になったのか。

そして何を祈られたのか。

観音様はただ静かにそこに佇んでおられた。

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ここに始まる 盛駅

三陸鉄道 盛駅。

「三陸鉄道ここに始まる」

という石碑が立っている。

ここから北に向かって三陸鉄道の線路が延びている。

三陸鉄道の起点駅なのだ。

そして、ここは JR盛駅でもある。

しかし、ここから南に向かって延びるはずの線路はない。

東日本大震災の津波で破壊され、復旧を断念。

BRT(バス高速輸送システム) による輸送に切り替わったのだ。

線路跡をバス専用道として作り替えて、鉄道の代わりにバスを走らせる。

住民の足を確保する為の施策。

BRTもここから始まっているのだ。

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無 陸前高田市

壊れた建物。

ひしゃげた鉄骨。

流されて、傾いた防波堤。

そんな物はいくつも見てきた。

しかし、ここには、

何も無い。

こんな衝撃的な風景は、他にはなかった。

陸前高田市の印象は、何も無い。だった。

新しい住宅は意図的に全て高台に建てられた。

今までの市街地にはところどころスーパーや、市の施設が立っている。

その他には何も無い草っ原が広がっていた。

ほんとに全て流されてしまったんだな。

僕は言葉を失う。

頭の中ではわかっているつもりだったが、

10年以上経ってもこの光景が広がっているとは。

驚きでいっぱいだった。

 

海に向かって手を合わせた。

「安らかであれ」と。

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再会の「たこ丼」 食堂カフェ仙華園

「どうした?何があった?」

道の駅高田松原で久しぶりに会った友人は、開口一番こう言った。

そりゃ、急に仕事を辞めて旅に出た人間にその理由を聞かずにはいられなかったのだろう。

「ま、色々とね。」

僕は笑いながら答えた。

新潟や東京では何度か会っていたのだが、12年前の約束をようやく叶えてこの地に来て友人に会うことができた。

彼の安否を気にしていたあの日々をふと思い出す。

「よし、ご飯を食べに行こう」

いつもの笑顔で友人が言う。

道の駅から国道45号線を北へ戻るように進んだ市街地の外れにある食堂カフェ仙華園へ案内してくれた。

席に案内されると、「今日、タコは入ってる?」と店員に確認し、「たこ丼」を注文した。

5年ぶりくらいに会った友人は、相変わらずがっしりとしていて日に焼けていた。

「よくお父さんと旅してるね。仲が良いの?」

友人の奥様がミィに言う。

娘と2人旅ってのは、他人から見るとどう見えるんだろう?

「うちは、無理だね。 娘が嫌がるから」

友人は、苦笑いをしている。

ここ何年かではあるが、サッカーのアウェイ戦を泊まりがけで見にいったり、キャンプをしたり。

ミィと2人で出かけることはあったので、気にもしていなかった。

たこ丼が運ばれてくる。

三陸オリジナル丼グランプリで最優秀賞を取ったという「たこ丼」。

スライスされた煮ダコと、タコの唐揚げがたっぷり乗っている。

プリプリしたタコがいい味していて、ご飯がすすむ。

あっと言うまに食べてしまう。

「この店は、クレープも美味しいんだよ」

と、奥様に勧められたが、お腹いっぱいです。

クレープはまた、次の機会に・・・。

美味しかった。

ごちそうさまでした。

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現代の津波石 桜ライン311

「桜ライン311」という団体がある。

3.11の教訓を生かし、次の世代に伝えるために。

犠牲者を1人でも減らせるように。

津波の到達箇所に桜を植えて現代の「津波石」とする。

この桜よりも上に逃げれば津波から命を救える。

そういう願いを込めて桜を植え続けている団体です。

友人が発足当初から関わっていた事もあり、何度か活動報告会には顔を出させてもらっていました。

「代表に挨拶させるから」という友人。

いやいやいやいや、そんな大層なこと・・・と思いつつ事務所へお邪魔させていただきました。

案内された建物には、NPO団体が複数入っているところだった。

その2階に「桜ライン311」の事務所がある。

岡本代表から桜ライン311の概要や、現状の話を聞くことができた。

すみません。こんな父娘でフラフラしている者に対応していただいて、とちょっと恐縮する。

最後はお見送りまで。お世話になりました。

しかし、ここへ来る事ができて良かった。

陸前高田へ絶対に行くから、と電話越しに友人に伝えてから10年以上経っていた。

行っていいのか?行かない方がいいのか?という葛藤があった。

それがやっと吹っ切れた気がした。

自分に何かできる訳ではない。

ただ、心の中にあの震災の出来事を刻み込んでおこう。

改めてそう思った。

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貝たちの部屋 陸前高田市立博物館

友人と別れた後、時間があったので陸前高田市立博物館へ行ってみた。

東日本大震災の災害にあった町、というだけではない陸前高田がそこにはあった。

特に海とのつながりが強く感じられた。

友人も元々は漁師だったし、まだ小さかったミィを連れて陸前高田の海へ遊びに来た事もあったなぁ。

陸前高田の歴史には海が切っても切れないものだった事が良く分かる。

恵の海。

何度も津波の被害に遭った恐ろしい海。

その両面を持っている。

その事を伝えていた。

この博物館で目玉になっているのは「貝」。

展示室「貝たちの部屋」には、小さいものから大きなものまで、

シンプルなものから色とりどりのものまで。

大量の貝が展示されている。

これらも震災の津波被害に遭っていたのだが、ここまで復活できるなんてすごい事だなぁと思った。

この街の人達はこれからも海と共に生きて行くんだろうな。

そんな事を感じた博物館だった。

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休暇村気仙沼大島キャンプ場

広い岩手県から宮城県へ入った。

岩手県を抜けるのに5日もかかってしまった。

宮城県に入って最初の町、気仙沼市の大島へ行く。

かつては欽どこの「気仙沼ちゃん」で有名になった島だ。

船でしか来れなかった島に、今では橋がかかり車で来れるようになっている。

島のほぼ中心の海岸線に休暇村がある。

海沿いの崖の上にあるキャンプ場からは太平洋が見渡せた。

フリーサイトの一番海に近いところに大きなテントが一つ立っていた。

そこからちょっと下がった所に僕らはテントを建てることにした。

フリーサイトの上に区画サイトがあり、家族連れが何組かテントを立てている。

「景色を塞いでいるかな?」なんてことをちょっとだけ気にした。

夕陽が山の方へ沈んでいき、夕飯を食べ終えると、その日は眠りについた。

翌朝、船のエンジン音で目が覚める。

遊歩道を散歩すると崖の下で何槽かの小舟が量をしている。

やがて海を金色に染めて朝日が登ってくる。

今日も良い天気だ!

さて、どこへ行こうか?

頭の中で宮城県の地図を描いて、行き先をあれこれ考え始めた。

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30日目のDATA

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2023/07/21(金)

天候:晴れ 最低 20.1℃/最高 25.5℃

岩手県釜石市〜宮城県気仙沼市

走行距離:108.1km

総走行距離:4909.4km



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