「区切らず」に「続ける」事。
10年一区切りという言葉があるとしたら、それは外側から見ている人達の言葉ではないでしょうか。
東日本大震災から10年。
一見、区切りとも思える年数です。
でも、被災した方の中には、家族が今だ見つかっていない人もいると聞きます。
区切りをつける必要はあるんでしょうか?
ここを記念日的に捉えている人、マスコミ、社会。
そんなものがあるとしたら、それは他人事から生まれた善意なのでしょう。
あの震災で被災した場所へ行くと感じます。
かつてここにあった物と。
今ここにある物。
被災した人達は、その重みと生きています。
被災していない自分達にできる事はなんでしょう。
それは、あの時の事を語り継ぐことだと思います。
自分達が、TVを通して、ラジオを通して、現地へ行って、話を聞いて・・・等。
感じたことを語り継ぐことだと思います。
あの地震の事は、遠く離れていても体験しているはずです。
行われなかった九州新幹線の開通祝いとか。
TVから流れてきた被災地の様子とか。
ぽぽぽぽーんという CM しか流れなかったTVとか。
それを見て、何かを感じた自分がいると思います。
その事を語り継ぐこと。
感じ続ける事。
思い続ける事。
気にし続ける事。
それが、10年経った被災地への思いではないでしょうか?
その後、起きた熊本地震にしても、それ以前に起きた様々な事のしても。
見て、聞いて、感じたことを語り継ぐこと。
それが大切だとあらためて感じています。
3/11 14:46 「黙祷」
この10年間、この日、この時間に「黙祷」とツイッターに発信してきました。
それは、弔いの意味だけではなく。
思い続けていると言う事を伝え続けたかったから。
自分自身に「忘れるな」と戒めたかったから。
「復興」のお手伝いはできないけれど、現地へ行って何かできるわけでもないけれど、
自分自身に、「忘れるな」と言い続けたい。
それは、これからも同じ事。
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