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2016年12月の4件の投稿

2016/12/24

【街歩き】沖縄をウロウロしてきた。
〜その10:最後は骨にしゃぶりつく〜

お昼は、とにかく沖縄らしい物を食べたい。そう思っています。

屋慶名についてお昼を食べに行きます。
沖縄の料理と言えば「沖縄そば」「ソーキそば」が思い浮かびます。
麺好きとしては沖縄へ行ったらとりあえず「そば」を食べに行こうと思っていました。
ところが調べると魅力的な食べ物が次から次へと見つかりました。
もう、「そば」なんて食べてられないぞ! と思ってしまった。

で、行ったのはバス停のすぐ近くにある、タコライスで有名なキングタコス

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ではなく、その先にある「かね食堂」へ。

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ラーメンやトンカツ定食、ギョウザ、八宝菜など見慣れたメニューと一緒に並ぶ沖縄メニューの数々。
ナンコツそば、三枚肉そば、ソーキそば、テビチそば、馬汁、牛汁、みそ汁・・・等々。
みそ汁」と言っても新潟や、本州のそれとは違いどうやら具だくさんの定食らしい。「汁」とつくものは基本ごはんが付いてくる定食です。
そして、絶対本州では食べることのできない(あるかもしれないけど)物を食べにここへ来ました。
まずは、券売機で食券を買い、店員さんに渡して待ちます。

で、その間にオリオンビールをグビッとな。

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ついつい、2杯も飲んでしまった。
沖縄の気温と、オリオンビールってホント良く合いますね。

さて、待ちに待った食事が来ました。
それが、「骨汁」です。

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もちろん、ごはん付きの定食です。
そして丼にはドーンと骨ばっかり!

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この骨に付いた肉をしゃぶり付きながら食べていきます。
骨から出ているうまみが効いているのかものすごくうまい!
今まで食べたことのない美味しさです。

軟骨好きの自分としては、最初のうち軟骨まで丁寧に食べていたのですが、もう時間がかかってしょうがない。
後半は、肉だけ食べてる感じでした。
何しろバスの旅なので時間に追われての食事です。
とは言え、それなりに時間を取っていたのですがこんなに時間のかかる食べ物だとは。

最後は、この汁をご飯にかけてラストスパート!

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定食の盆に乗っていた空の丼は骨入れなのですが、最後はこんな感じになります。
もうお腹いっぱい。
・・・恐るべし骨汁。笑。

予想以上に時間がかかったのでバスを一本乗り過ごして那覇へ戻ることにしました。
バス時間調べておいて良かった。

JA与那城前から 12:43発 27番の那覇バスターミナル行きに乗ります。
向かった先は、イオンモール沖縄ライカム店
50分程の移動です。
沖縄に来てまで何故イオンモール? というと、このままバスに乗り続けて那覇まで行って空港へ行くこともで来ますが、ここから高速バスの空港行きが出ているため1時間くらい時間を短縮できるのです。
その空いた時間でオリオンビールのビアホールへ行きたい! という趣向です。
それに沖縄県内一の巨大モールを見てみたいと言うのもありました。
リゾートモールとしての位置づけもあるらしく、新潟のイオンモールとは一味も二味も違っていそうです。
骨汁で満腹の我々は午後の日差しと、バスの揺れでウツラウツラとしながら進みました。

バスの乗車時間が長いといろいろ考える物で、かね食堂でビールをいただいたのと、空港でお土産を買う時間が欲しい。ということになりました。
それにビールはもう飲んじゃったからビアホールは行かなくて良い。というのでビアホールは止めて、乗り継ぎの良い 14:00 発の高速バスに乗ることにしました。
乗り継ぎ時間は約20分、余裕で少しは見学もできそうだな。と、思っていたのですが。
案の定バスは遅れ気味。
ところどころ渋滞もあったりして時間がどんどん詰まっていきます。
しかも予定していたバスは、イオンライカム店行きだったのですが、このバスは那覇バスターミナル行き。
イオンには入らず、最寄りのバス停で降りることになります。
巨大モールでバス乗り場を見つけて乗り換えることができるのか?
ドキドキしてきました。
やがて十数分遅れでイオンモールが見えてきました。

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バスは最寄りの比嘉西原に止まります。
そこからは奪取でバス停から一段高くなっているイオンモールへ向かって行きます。
巨大な駐車場を抜けて正面へと回り込むと他とは違う、リゾートっぽい造りのイオンがありました。
とりあえず、バス停を見つけて時間を確認。
今度はトイレを探しに店内へ行きましたが、エントランスからして超巨大!

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おまけにキレイな熱帯魚が乱舞しているし。
ここは、水族館か!

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これなら時間を作って見て回っても楽しそうです。
しかし、店内へ入ったら出てこれなそうなのであきらめます。
バス時間が迫っているので急いでバス停へと戻ります。

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店外へ出ると目の前にバスが止まっていて今にも発車しそうな雰囲気。
「ヤバい!」と、思って駆け寄りましたが別の行き先のバスでした。
ホッとしてそのバスを見送ると、おばあさんがやってきて我々の前に並んでいる人に話しかけていました。
「***行きのバスはまだですか?」
「????」
相手の人が困っているみたい、でも今出たバスがまさにその行き先で次は一時間後だった。
そう教えてあげるとおばあさんは、
「一度見に来た方が良いよ。と、言われ来てみたけど。広すぎて疲れるだけだわ。
 疲れたから座って待ちます」
そう言って、去って行きました。 広すぎるのも考えもんですね。

最初に声をかけられた方は、話しを聞いたらこの人も台湾からの観光客でした。
そりゃ分からないわけだ。
再び片言の英語で聞いてみると日本には何度も旅行に来ているとのこと。
富山の立山まで行ったよ。と、言うので今度は新潟まで来てみて下さい。
温泉もありますよ、と言ったら、笑顔で「温泉」と言ってました。
日本が気に入っていただいているようでちょっと嬉しくなりました。

さて、本日最後のバス 14:00発 152番 那覇空港行き乗り込みます。
空港行きと言うこともあり、大きな荷物を持った人が何人か乗ってきます。
車内には荷物置き場のスペースもあり、今までのバスとはちょっと雰囲気が違います。

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面白かったのは、「二千円以上の紙幣の両替できません」と言う張り紙。
沖縄は、首里城がデザインされた二千円札が今でも流通しているんですね。
本州ではほとんど見ることができないのですけど。

あと、「車内での飲食はご遠慮下さい」って書いてあるけど、運転手さんは水筒から飲んでたなぁ。
熱中症予防かもしれませんけどね。

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もう一つは、「次止まります」のサインが日本語と英語だったこと。
そう言えば、行きに乗ったバスも大きな液晶表示で、日本語、英語、中国語、韓国語で停留所の案内が流れていました。
国際色豊かな土地だなと、思います。

さて、バスは北中城から高速に乗り那覇を目指します。
いくつか途中のバス停に止まり、やがて那覇インターへ。

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那覇市内に入るととたんにノンビリとした走りになりますが、ほぼ定刻に空港に着きました。

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たまにはこういうバスの旅も楽しい物です。
ちょっと、遅れるか?と、ドキドキしましたが無事、集合予定時刻までに戻ってくることができました。

今回、バス時間を調べるのにどうしようかと思ったのですが、沖縄の各路線の情報を載せたサイトがいくつかあります。
私が使ったのは「バスマップ沖縄」というサイト。
路線図が載っているので非常に分かりやすかった。
それに沖縄のバスは全てに系統番号が付いているので、それを見ながらバスに乗ることができます。
鉄道が無い分、バスが充実しているような気がします。
・・・遅れますけど。

帰りは、大阪経由で新潟まで。
無事、沖縄の旅を終えることができました。

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いやぁ、沖縄良いねぇ。
また行ってみたいですねぇ。
今度は、家族で行ってみたいなぁ。


4


【街歩き】沖縄をウロウロしてきた。
〜その9:海の上で ぼうーっとのんびり時間を過ごす〜

いよいよ、本日の目的地「海中道路」へと突入します。

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伊計島行きのバスは、マイクロバスでした。
狭い車内に乗り込むと2,3人の地元の方が乗っているだけでした。
ローカルな路線バスです。
車内は、地元のラジオが流れています。

乗り込んでまもなく発車しました。
ここから先が海の中を突き進む、海中道路です。

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橋ではなく、浅瀬を埋めて造られた海中道路。
道路の両側は、青い海、まさに海中道路です!
曇り空なのがちょっと残念ですが。

途中、橋を一つ渡ると前方の海の中に建物が見えてきました。
それが目的地の「海の駅 あやはし館」です。

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バスが停留所に近づくのですが降り方が分かりません。
思わず、運転手さんに「次降ります」と叫んでました。

海の駅 あやはし館は、いわゆる道の駅的建物です。
物産店、レストラン、資料館になっています。
入るのは後にして、海中道路を歩いてみることにしました。

この道路ができるまでは、対岸の平安座島へ渡るには渡し船か、干潮時に浅瀬を歩いて渡るしかなかったそうです。
そういえば、沖縄のどこかの島で牛車が海を渡ってるのは、TVや雑誌で見たことがあるなぁ。

ブラブラ歩いて、休憩所のあるところまで来るとブーンという音がして何かが飛んでいます。

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ドローンが飛んでいました。
初めて見たなぁ。

お互い片言の英語で話しを聞いてみると飛ばしていたのは台湾からの観光客の方でした。
御家族で観光されているようです。

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2km位は電波が届くらしいとの事。
この場所なら遮る物が何も無いからどこまでも飛んで行きそうです。
もっとも電波が届かなくなったら海に落ちてしまいますけど。

休憩所の先から道路を離れて海の方へ伸びる海中ロード展望台があるので行ってみることにします。
展望台と言っても高くなっているわけではなく、ちょっとした歩道がある程度の物ですけれど。

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海を眺めるのは好きです。
波音を聞きながら、潮風に当たって ぼうーっとしている時間は最高です。
社員旅行なんて事を忘れてノンビリした時間を過ごしました。

本島側の海は湾のようになっていて平安座島には巨大な石油貯蔵設備があったり、本島側の工業地帯へ船から何かを送るためのベルトコンベアのような物が見えます。
その間でボートやパラセールが飛んでいるのが見えます。

反対側の海は、浅瀬が広がり、波で削られた面白い形をした岩がたくさん見えます。

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その浅瀬に人影が!

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何か漁をしているのか? 歩いて渡ろうとしているのか?
ただ歩いてるように見えましたが、どっちなんだろう?

時間が迫ってきたので あやはし館へ戻ることにします。
海中道路に立っている道路標識には、「左 伊計島、右 屋慶名」、という表示で海の上だと言うことを示しています。

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海中道路の先は、平安座島。その先は、浜比嘉島、宮城島、伊計島 と4島が橋で結ばれています。
先ほどのバスは、各島を経由して末端の伊計島まで行きます。
そこまで行ってみたかったのですが、時間的に断念。
バスの時間まで あやはし館で土産物を買ったり、資料館を眺めたりして過ごします。

ここでお昼を取っても良かったのですが、レストランは BBQ か、バイキングしかないようでそれなら別のローカルな食堂へ行ってみようと思います。
11:41 のバスで屋慶名へと戻ります。

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行きと同じ道を戻っていきます。
すぐに屋慶名の町が見えてきました。
さて、次は終点のJA与那岐支店前。
問題のバスの降り方ですが・・・ピンポーン 突然聞き慣れた音が鳴りました。
降車ボタンあったんですね。
地元の方がボタンを押したようです。

良かった。と、思ったらバスが路肩に止まりました。
エッ、ここで降りるの?と、思ったらこのバスフリー乗降ができるようです。
地元の方が降りた後、バスは目の前の(笑)JAの駐車場にあるバス停に止まりました。

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さて、お腹も空いたのでお昼にします。
とっておきのローカル食堂へ行くことにします。

3

〜続く。


2016/12/11

【街歩き】沖縄をウロウロしてきた。
〜その8:雨上がりの勝連城と危険生物〜

世界遺産、勝連城に着いたのは 8:30過ぎ、雨に濡れた城跡は静寂に包まれていました。

バスを降りた我々が最初に行ったのはトイレを探すこと。
観光案内所があるのでトイレくらいは・・・と思ったのですが、頼みの案内所はまだ開館前。
駐車場を見渡しても見つかりません。
案内所をのぞき込むとどうやら職員の方がいらっしゃるようです。
思い切って通用門から声をかけてトイレを借りることにしました。
・・・助かりました! ありがとうございました。

さて、改めて勝連城跡を見上げます。

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この勝連城は、この地を治めた按司、阿麻和利(あまわり)が住んでいた城です。
琉球王国に反逆しているとして、初日に見学した座喜味城を築城した護佐丸を討ち滅ぼします。
しかし、その後阿麻和利の方が謀反を起こしたとして、琉球王国に討たれたそうです。
阿麻和利を逆賊とする見方は、琉球王国から見た場合で、勝連城のある与勝半島周辺の農民からすれば英雄という見方もあるそうで、どちらを義とするかは良く分かっていないそうです。

さて、この勝連城跡を観光をするには、1時間〜2時間かかるとの話しでした。
しかし、我々に残された時間は次のバスまでの約1時間。
しかも、勝連城跡前バス停ではなく、10分程歩いた先のバス停で乗らなければなりません。
幸い雨は止みましたので、急いで見学することにします。

とは言え、雨に濡れた石の階段と石畳。
これが良く滑ります。
恐る恐る、上って行くことにします。

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足下は悪かったのですが、思ったより早く登ることができました。
まぁ、いろいろ見所もあるようで、祈りの場所とかもあったのですが脇目も振らずに登ったためなんですけど。

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この城跡の特徴は、頂上にあたる一の曲輪まで登ると 360度の眺望が楽しめます。

なのですが、本日は雨上がりのどんよりとした曇り空。
ボンヤリとした風景となってしまいました。

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それでも、大平洋を望む海側から、うるま市街地を見下ろせます。
市街地側には沖縄本島の背骨に当たる山々が見渡せ。
海側には青い海と、島々が見渡せます。
・・・が、どんよりとした曇り空を移し込んだ海は、どんよりとした暗ーい色でした。残念。

そして、次の目的地、海中道路も見渡すことができます。

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おぉ、次はあそこへ行くのか! と、ちょっとテンションが上がりました。
さて、あんまりノンビリとはできません。
次のバスの時間が迫ってきました。
急な階段を降りていきます。

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階段の途中にでっかいカタツムリがいました!
こんな色した、こんなに大きなカタツムリがいるんですねぇ。
ビックリ!

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このカタツムリ「アフリカマイマイ」と言うらしいです。
ところが、階段を降りた所に注意書きがありました。

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この「アフリカマイマイ」は、寄生虫がいるので触ってはいけないとか。
ヘタをすると死んでしまうこともあるらしい、恐ろしい生き物だったのですよ!
沖縄なのに「アフリカ」という名前が付くのは変だなぁと思ったら、元々食用として持ってこられたものらしい。
寄生虫がいるけど良く火を通せば食べれるとのこと。

・・・いえ、食べなくて良いです。

さて、時間も押し迫ってきました。
先を急ぎます。
ここからは坂道を登っていきその先の通りを右折して「西原」というバス停へと行きます。

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幸いバスは遅れているらしく時間になっても到着しません。
バスを待っていたら、反対側の車線を今朝乗ってきたバスが折り返して那覇へ向かって走って行きました。
運転手さんが見えたので手を振ったら振り替えしてくれました。
フレンドリーな人だったなぁ。

バスは、朝乗ったのとは別の系統の屋慶名行き。
地元の人の乗り降りがありますが、やがて・・・やっぱり我々だけになってしまいました。
案の定運転手さんに声をかけられます。
「どこまで行くの?」との声に
「JA」までと言うと
「伊計島行きに乗るのかな? うーん。ギリギリだね。」
との事。
JAおきなわ与那城前というバス停での乗換は8分。
10時ちょうど発のバスに乗るつもりなのですが、例によってバスが遅れているのですでに2,3分前なのです。
バス停に停車すると「あれだよ」と指さして教えてくれた伊計島行きのバスはマイクロバス!

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狭い車内に潜り込むとやがて小さなバスは発車します。
ローカルのラジオが流れる車内は、ノンビリした感じ。
いよいよこれから海中道路へと向かって行きます。

02

〜続く

2016/12/02

「菌」という発言に、「怒り」と「悲しみ」しかない

なんとも、悲しい事が起きてしまいました。

横浜で、福島から自主避難してきた子供がいじめにあった問題がありましたが、私の住んでいる新潟でも同じ事が起きてしまいました。
小学4年生の児童が同級生から「菌」呼ばわりされていたとのこと。
その事で教師に相談したらその教師も「菌」と呼んだとの事。
学校の先生というのは子供達を指導する立場にあるわけで。
教師が「菌」と呼んだと言うことは、子供達にそう指導したと同等の事です。
大げさに言えば。
新潟市の教育委員会がそう指導したと同等の事です。
新潟県がそう指導したのと同等の事です。
文部科学省がそう指導したのと同等の事です。
日本国がそう指導したのと同等の事です。

その重大さにこの教師は、この学校は、分かっているのでしょうか?

子供の心の痛みの分からない教師など、教師の資格を剥奪しても良いのではないでしょうか。

福島県の隣県である新潟県には多くの自主避難者がいらっしゃいます。
来たくて来たのではなく、原発の被害に遭ってしかたなく来たのです。
その心情を察することのできない世の中というのは、どうにかしなくてはいけないのでは無いでしょうか?

おそらく、横浜と新潟だけの話しではないでしょう。
このような苦しみを負わされている避難者が多数いることは、容易に想像できます。

福島で事故が起きて、「菌」と呼ばれるのならば

柏崎の原発で事故が起きたら、新潟県民は「菌」になるのですか?
新潟市の教育はそういう物なのですか?
泊で事故が起きたら北海道民は「菌」なのですか?
東通で事故が起きたら青森県民は「菌」なのですか?
女川で事故が起きたら宮城県民は「菌」なのですか?
東海で事故が起きたら茨城県民は「菌」なのですか?
浜岡で事故が起きたら静岡県民は「菌」なのですか?
志賀で事故が起きたら石川県民は「菌」なのですか?
敦賀で、御浜で、大飯で、高浜で事故が起きたら福井県民は「菌」なのですか?
島根で事故が起きたら島根県民は「菌」なのですか?
伊方で事故が起きたら愛媛県民は「菌」なのですか?
玄海で事故が起きたら佐賀県民は「菌」なのですか?
川内で事故が起きたら鹿児島県民は「菌」なのですか?

日本で事故が起きたら日本国民は「菌」なのでしょうね。

この事をこの教師は分かっているのでしょうか?
あなたも「菌」なのですよ。

いや、違う。
日本で事故が起きたのだから、あなたもすでに「菌」なのですよ。

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