あの日、からの事を書いてみようと思う。
ひとつの記録として。
2011年3月11日 14時46分18秒
新潟市内の会社にいた自分が揺れを感じたのは、これよりも後の時間だったのだと思う。
いつになく大きな揺れを感じながら「震源はどこだろう?」とパソコンに向かってネットで調べたり、次々と流れてくる被害の状況を読んだりしていました。
特に千葉のコンビナート火災のライブ映像を「すごいなぁ」と見入っていました。
新潟では被害の出るような揺れではなかったため完全に観客の一人として外から被災地を眺めているような状況でした。
ところが翌朝、風景の変わった東北の海岸線の映像が目に入ってくると何が起きたのか理解できませんでした。
そして、陸前高田の状況が少しずつ伝わってくるとそこにいるはずの友人がどうなったか心配になってきました。
なんの情報もないまま時間も過ぎていき、その日のお昼に東京に住む仲間内のリーダー的な存在の友人に電話をしてみました。
話題は自然と陸前高田の友人の話に。
「申し訳ないけど、あの状況じゃぁ望みは無いなぁ」
彼がこの一言を言った時、おそらく何かのスイッチが入った気がします。
何の情報も入ってきていないのになんであきらめてんだよ!と。
おそらく、この後の自分は人生で一番「異常」な状況に陥っていたのだと思います。
新潟県は、過去に新潟地震という大きな地震を体験しその話は小学校時代にさんざん聞かされて育ってきました。
そして最近では中越地震、中越沖地震と立て続けに震災にあいましたがその度に「自分に何ができるのだろう?」と思いつつも何もできずにいました。
この時も「何かしなくては!何かしなくては!何かしなくては!・・・」
ずーっと、そんな事を考えていました。
思いついた事を全てやっていた気がします。
まず地震の翌日には掲示板を立ち上げて、メールアドレスを知っている友人達に安否確認のメールを送りました。安否情報を掲示板に書き込んで欲しい、と。
そして、なかば冬眠状態だった Twitter で震災の情報を集め、何かの役に立てばと、Facebook や Google+ に登録をし、情報収集と、集めた情報から必要と思われるものを流したりという日々を送っていました。
友人達からの安否情報も集まりはじめてずいぶん安心もしましたが、陸前高田からの情報は少しも入ってきませんでした。
何日か立つと被災地の避難所からの TV中継などが流れてくるようになりました。
そこで次に取った行動は「陸前高田からの映像」を片っ端からパソコンに取り込み何度も何度も見返して彼の行方を捜しました。
それらしい人影を見つけると「きっとコレは彼だ!」と何度も何度も繰り返し確認をしたりしていたのです。
「何かしなくては!何かしなくては!何かしなくては!・・・」でも、何ができるんだろう?
そんな悩みも抱えていたのも事実です。
中越の時は何もできなかったけど、今回も何もできないのか?と。
そんな時、熊本の Webラジオ「FMC」が被災地応援放送を始めていました。
その中で
「被災地の為に何かできないか?と考え、悩む人もたくさんいる。
でも、そんなに悩まず、自分ができる事をやれば良いんじゃないの。」
という事を話していました。
これを聞いた時、「あぁ、それで良いんだ」とものすごく気が楽になったのです。
救われた気がしました。
そうか、無理せず自分にできる事をやれば良いんだ。と。
そんな時、彼の妹さんから「兄は無事です」との連絡をいただきました。
この一言がどれだけ嬉しかったか!
すぐに妹さんとメールで連絡をとり、避難しているとの話しを聞き涙が出るくらい嬉しかったのを覚えています。
彼は地震の後、家が津波に飲み込まれる前に幼い子供達をかかえて家族全員で高台に無事避難できたのだそうです。ホントに良かった。
掲示板にも彼の無事を確認したとの書き込みもあり一安心。
電話で連絡が取れたのは1ヶ月位後の事だったと思います。
「良かった。」と、あまり言ってはいけないと思ったけど「がんばれ」としか言えなかった。
この頃、陸前高田市では市報を配布する事ができないので、毎日ネット上に揚げていました。
これの内容を Twitter に毎日あげている方がいました。
すごいなぁ、と感心していたのですがいつしか自分も同じような事をやっていました。
地元の市報を読む事はあまり無いのに、この頃は陸前高田市の市報は毎日読んでいたんです。
今だに保存してあるし、ホント、何やってたんだろう?
被災地救援募金も見かける度に募金していました。
少しでも多く入れられると良いのに。そんな事を思いながら。
今思えばこれも無茶苦茶な考えだったなぁと思います。
そして見つけたのがネット上の「ツイート募金」「クリック募金」等々。
最初は、自分がお金を出さないのに何で募金ができるの?怪しいサイトなの?
と、半信半疑でしたが「やれる事をやろう」と思い、少しずつ募金を始めました。
5月には募金のまとめサイトも立ち上げて、それからは募金の日々が始まります。
いつかは無くなるだろうと、思い続けてきた募金。
5年経った今もかなり減ったとは言え、まだまだ続いています。
最初はすこしでも多くの金額を募金できるようになりたい、と思っていました。
でも募金というのはそういうものでは無いという事に気付きました。
少しずつで良いのでより多くの人の善意を集めるもの。
金額が大きい事にこした事は無いけれど、一人の人から多額の寄付を受け取っても本当の目的では無いのです。
最近はそう考えるようになりました。
このツイート募金、クリック募金のおかげで多くの人とネット上で知り合いました。
Twitterのフォロワーが急激に増え、blogのアクセス数も爆発的に増えて、驚くと同時に恐ろしく感じたりもしました。
ホントありがたいです。
「できる事をやろう」FMC で受けたこの言葉を胸にしてこの5年間、なんとかやってきました。
そしてこれからも「できる事をやろう」と思い続けていくと思います。
少なくとも、クリック募金サイトが無くなるまでは。
・・・大丈夫かな?
自分のやっている事が正しいかどうかは分かりません。
実際、友人に心配された事もありました。
それでも、自分のやっている事を信じて明日もまたクリック募金をしていると思います。
少しでも被災地の復興が早まる事を願いながら。
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