4年目。
1年目は、福島へ行って復興イベントの中で黙祷をした。
2年目は、客先の物陰で黙祷をした。
3年目は、会社の駐車場の傍らで黙祷をした。
4年目の今日は、コンビニの駐車場で車の中で黙祷をした。
2年目以降、周りにはいつもと変わらない日常があった。
仕事をしている人。
買い物をしている人。
車を運転している人。
タバコを吸っている人。
歩いている人。
笑っている人。
たぶん、それで良いのだと思う。
いろいろな感じ方があるのだと、理解している。
友人に「お前が心配なんだ」と、言われた事がある。
久しぶりに友人達に会って、近況を話し合って、
「震災の時はどうしてた」
「あの日はどうだった」
「放射線量を測ったらこんなだった」
・・・そんな話しからちょっとした意見の食い違いが出てしまった。
被災地から遠い新潟で騒いでいる自分。
弟が郡山に住んでいて、実体験で感じている友人。
さも、何もかも知っているような口調だったのかもしれない。
さも、自分はがんばっているんだ。と言う口調だったのかもしれない。
そんな事じゃないんだよ!と、言う事だったのかもしれない。
「お前が心配なんだ」
たぶん見透かされていたんだな。
肩肘張らずに、いつものお前で良いんだよって。
1年以上前に言われた言葉の意味に、今気づいた気がする。
「風化」と、言ってしまえば悲しいけど、決して忘れているわけではないと思う。
いつもの日常を過ごす人達をどうこう言えるわけもない。
だからこそ語り続けていかなくてはと思う。
被災地ではない、遠く離れたこの地でも、あの日、何があったのか、を。
そして、今、何が起きているのかを見続けて、語り続けていかなくてはと。
「勝手に語り部プロジェクト。」
ひっそりと、こっそりと、これからも、続けていきます。
勝手にやっていきます。
外側から見続ける事を。
外側から語り続ける事を。
心配してくれた友人が、「それでこそお前だ」と、いってくれる日が来る事を信じて。
うーーん、まだ肩肘張っているかな?
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