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2014/12/30

伝える事の難しさ。

某 Facebook で陸前高田の一本松の前でポーズを取る若者にカメラを渡されたけどシャッターを切れなかった。という話が載っていました。


そこに寄せられたコメントを見ると若者達に批判的な話が続いていました。

まぁ、当たり前の反応だろうなと思います。
「ここは観光地では無い」
「ここで起きた事をちゃんと考えてるのか?」
批判する人の気持ちは分かるつもりです。

では、彼らはどういう顔をして写真を撮ると良いのでしょうか?
悲しい顔でしょうか?
悩んだ顔でしょうか?

自分も被災地でカメラを向けるといつも悩みます。
写真を撮ることが良いことなのかどうかと。

今、被災地を訪れる人にとって、ボランティアとか、慰問で行く人で無ければその地は間違いなくそこは「観光地」なのだと思います。
広島や、沖縄と同じように。
そうなりつつあるのだと思います。

では、広島や沖縄で行われているように彼らに、そこで起きたことをきちんと説明している人がいたのでしょうか?
そこが、こういう所で、どういう事がおきた所だと。

テレビ等で報道されていることを見ると一本松は東日本大震災の象徴としてレポーターがにこやかに紹介しています。
「東北へ来てください。東北の被災地を見てください」
その言葉を受けて訪れた人が、一本松の前で笑顔で写真を撮るのはごくごく有り得る事では無いでしょうか?

3年前のことだから知っているだろう。
ではなく、きちんと起こった事を伝えることのできる仕組み。
そんな施設なのか、ボランティアの案内人なのか、そういう仕組みが必要なのではないでしょうか?

閖上に行った時。
震災の後「閖上」という場所をネットで見聞きしていた自分と、当日連れて行かれたかみさんと子供。
当然、その場所で受けた印象は違った物でした。
塩釜、松島そして石巻へ行った時も。
でも、それで良いと思っています。

ピースやポーズこそとらなかったものの、笑顔で写真に収まる子供。それは悪いことなのだろうか?
被災した建物を撮って回ることはどうなんだろうか?
悩まないわけではありません。
それでも自分が歩き回り、その目にした記録として写真を撮っています。
それは、ある種の「観光」なのでしょう。

地元の人にしてみれば被災地という意味では気持ちの良いことではないのかもしれません。
しかし、そこを訪れる被災地と関係の無い人との間には大きな感覚の差があるのだと思います。
その差を埋める仕組みを考えながら、復興というものをすすめなければいけないのではないでしょうか?

そんな事をふと、感じてしまいました。

所詮お前は部外者だ。
と、言われればまさにその通り。
部外者の戯言なのでしょう。

ただ、うちの子に「閖上ってどんな所だか判った?」と聞いたら。
「津波のあったところでしょ」と、返答があった。
それは、ビデオや写真やそういう「伝える」施設が合ったからだと思う。
そして少しずつそういう事を見せて、何が起きてどうなっているのかを伝えるのが自分の役目だと思って、子供を連れて足を運んでいます。
自分の役目は、まずは自分の子供に、家族に伝える事だと、思いつつ。

一本松で写真を撮っていた彼らも、何か思うところがあってその場へ行ったのだと思う。
そして、きっと感じた事もあったのだと思う。
その何かを消化できる手助けがあれば、こんなにも批判を受ける事はなかったのだと思う。

そう、信じたい。

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