みなとピアで開催されている「企画展 新潟地震展」を見てきました。
新潟地震から50年。
自分はもちろん、体験していないのですが、子供の頃からいろいろ話を聞く機会があり
昭和大橋が落ちた事。
昭和石油が燃えた事。
液状化現象で砂混じりの水が噴き出し、ビルが沈んだ事
・・・等が起きた事は知っていました。
現に子供の頃、水島町にあった旧電電公社のビル(社宅?)の1階が沈み2階が出入り口になっているのを見ていましたから、地震のすごさを何となく知っていました。
中越地震の体験があるとは言え、子供達が新潟地震の事を知っているのかどうか?
分からなかったので連れて行く必要があるな、とは思っていました。
次女が部活も無くなり動けたので久しぶりに連れ出して見てきました。
子供達は、「あそこがこんな風になったの?」とか驚きはあったものの中越地震、中越沖地震、そして東日本大震災を経験しただけの事はあり、さほど大きな衝撃は受けていなかったようです。
・・・良いのかなぁ?
とは言え、新潟でも大きな地震があったのだという認識は持ってくれたようです。
それより、新潟地震の時にやはり津波が来ていたというのを初めて知りました。
最大 4m〜6m!
そして、その為に浸水した箇所も多数あったようです。
市内が水浸しになったのは、信濃川の水が溢れたためか、液状化の為だと思っていたのでビックリしました。
当時も海抜0m地帯があったはずなのでそれが大きな被害をもたらしていたのですね。
そして今回分かった事は、新潟地震の遺構はあまり残っていないと言う事。
それは、「早く地震の事を忘れて復興させよう!」と行政が動いたためだそうです。
当時としてはそうゆう風習だったのでしょう。
現在、新潟地震の爪痕はあまり見る事がで来ません。
それが良い事か、悪い事かは分かりませんが、教訓として残る物が少ないという事だと思います。
東日本大震災の際、「この地より下に住むべからず」という文言があちこちに残っていたそうです。
それは、過去に大津波にあった先人が残した教訓です。
それが活かされずに悔しい思いを多くの人がしています。
次に、新潟に大地震が襲った時。
50年前の教訓はどれだけ活かされるんでしょうか?
そして、その体験をしていない自分達は、子供達にどれだけ伝える事ができるのでしょうか。
しっかり考えていかなくてはいけないと、改めて思いました。
自分にできる事。
何ができるのだろうか?
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