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2013年1月の15件の投稿

2013/01/30

懐かしい絵と、想い出と。

以前、かみさんと2人でよく笹倉鉄平さんの絵を見に行った。

バブルがはじける頃の絵画がよく売れてた頃の話で、かといって自分達に買えるわけも無く展示会(と、言う名の販売会)に行っては、ラッセンとかの絵と一緒に笹倉氏の絵を見て「いいなぁ」と、2人で眺めていました。
最近は目にする事も無かったのですが、ふと見つけたホームページで東日本大震災孤児遺児支援の活動をされている事を知りました。
なんだかほんわりするやわらかなタッチの絵も描かれている事を初めて知りました。

東日本大震災孤児遺児支援チャリティーでポストカードの販売も始めたとか。
さっそく購入依頼をしてしまった。

さすがに、大判の版画を買えるわけも無いので、ささやかにポストカードで支援を。
あの頃の想い出と共に。

『 アトリエから 』 笹倉鉄平からのメッセージ

笹倉鉄平「チャリティ・ポストカード・セット『未来ある子供たちに―』」を販売開始

相変わらず、きれいな絵を描いていらっしゃいます。

2013/01/24

セブンイレブンのフリースポット 7SPOT に接続してみた。

セブンイレブンのフリースポット 7SPOT を使ってみました。

昨年、7SPOTがスタートした時には、全くのフリーで使えたのですが、さすがに認証をしなければ使えなくなったようでユーザ登録が必要になっていました。

で、登録して接続するし、ブラウザを起動すると専用のホームページに誘導されます。
そこで、「無料のインターネット接続を使用する」というボタンをクリックして接続します。
ローソンはアプリでこれをやりますが、セブンは Webで接続するタイプです。

ネットは1日に 60分を3回使えるという仕様で連続使用はできません。
それでもちょっと情報を見る、なんて時には使えるかも。
駐車場でもOKですから、旅行先で使うのもありかも。

しかも、今日接続して気付いたのですが、ラジコのエリアは東京になります。
だから、地元の BSN とかは聞けないけれど TBS、ニッポン放送、文化放送なんかが聞けてしまう!
これはある意味美味しいなぁ。

こういうのがどんどんできるとスマホなんていらなくなるなぁ。
と、思ってしまった。


PHSが調子悪い原因がわかったぞ!

正月に電話を W-Zero3 から HANEY BEE 5 に替えました。

ついに W-SIM から離れる事に。
さすがに、W-SIM機が今後出ないとなるとこだわる必要もないので。

HANEY BEE 5 は、結構奇抜なデザインで「ちょっとな」と、思っていたのですが
ブラック x ブラウン
がなかなかイイ!
W-Zero3 のごつい感じも無く、スリムで持った感じもしっくりと来る。
LIBERIOにしようかと迷ったのですが、最新機にしてみて正解だったかも。
まぁ、「電話」という意味ではあまり変わらないかもしれませんけど。
LIBERIO の方が落ち着いた感じではあるんですけどね。

HANEY BEE 5 は、Bluetooth にも対応している。
しかも、親機にも子機にもなれる!
これは意外と便利かもしれない。
以前買った Bluetooth ヘッドセットはうまく動かなかったので別のを試してみよっと。

さて、この PHS が1週間で調子が悪くなり修理に出しました。
受話音が小さくて聞こえなくなるのです。
今日修理上がりで戻ってきたのですが、メーカー曰く。
「症状が出ない。でも本体を交換しました。」
との事。
原因が特定できないのはいやだけど、交換してくれたのなら良いか。と、今日受け取ってきました。
で、帰り際に何気に裏を見ると注意書きが・・・
「この穴をふさがないで下さい。通話音声に支障をきたす場合があります」だと!?

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実は、PHSを買った際に液晶保護フィルムも買ったのですが、カメラレンズ用の保護フィルム付きでした。
で、カメラのレンズだと思ってここにフィルムを貼ったような気が・・・

は、は、は、は、は、・・・。

原因がわかったぞ!
俺だ!

SHOPの方、メーカーさん、ゴメンナサイ。 
ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

2013/01/20

お昼に皿ウドンを作ってみた。

昨年末に Webラジオ FMC の番組で皿うどんの話題が出ていました。

それを聴いていらい皿うどんを食べたくて食べたくて、作り方を見ると何となく作れそうだなぁと思ってました。
でも、まずは本物を食べようと新潟市内の「長崎ちゃんぽん」というお店で食べてみたら、やっぱりうまい!

と、なると自分で作ってみたいのです。
が、近所に皿うどん用の麺が売っていない。
レシピには中華麺を揚げれば良いと書いてあるのですが、麺を茹でてから揚げるという工程がめんどくさいなぁと思っていました。
どうすれば良いかな?それなら焼きそばの麺で良いかな?等と思っていたら良さそうな麺を発見。

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太麺の焼きそばです。
と、いう事で早速作ってみる事にしました。

【材料】
・焼きそばの麺(太麺)・白菜・玉葱・ブナシメジ
・砂肝・ベビーホタテ・顆粒だし・塩・醤油
・水・サラダ油・日本酒・片栗粉

【作り方】
1:白菜を芯の部分と葉の部分に分けてざく切りにします。玉葱は薄切りにし、シメジをほぐします。砂肝は薄くスライスします。

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2:鍋に油をしき、砂肝、玉葱を炒めます。
3:砂肝に火が通ったら、白菜、ブナシメジを入れて炒めます。

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4:水をヒタヒタより少なめに入れます。
5:煮えてきたらベビーホタテを軽く水洗いしてから入れます。

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6:日本酒、顆粒だし、塩、醤油で味付けをします。
7:水溶き片栗粉でとろみをつけます。(あんが完成)
8:焼きそばの麺を 30秒ほどレンジでチンをしてほぐします。(いらないかも)
9:フライパンにサラダ油を麺が軽くひたるくらい入れて熱します。
  (しっかり浸かるくらい入れた方がちゃんと揚がると思いますが、後始末が面倒なので少ない油で揚げています。
10:麺を入れてキツネ色になるくらいに揚げます。
   時々ひっくり返したりして麺全体を揚げていきます。

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11:キッチンペーパーに上げて余計な油を切ります。

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12:皿に麺を盛りつけ、あんをかけて完成です。

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とろみの付け方がへたくそでスープっぽくなってしまいました。
片栗粉が足りなかったなぁ。もっと、ドロッとさせなきゃいけないのですが。
皿うどんと言うよりも、揚げ焼きそばのスープがけになってしまった気がする。

麺はパリッとしていて、皿うどんの雰囲気は出ていました。(苦笑)
でも美味しかったです。
砂肝を使ったのは、ただ単にあの歯ごたえが好きだからです。
豚肉とかで良いと思います。

さて、麺を揚げる時ですが麺がくっつかないようにテフロンの鍋で最初揚げたのですが失敗でした。
ベタッ!と、鍋に麺がくっついてしまった。

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やっぱり油をしっかり吸っているフライパンの方がくっつかずに揚げる事ができました。
麺は、今回焼きそばを使いましたが、レシピを調べていたら
・インスタントラーメンを茹でた後、レンジにかけてぱりぱりにする(乾かす?)
・チキンラーメンを割ってそのまま使う。
と、いうのがありました。
そっちの方が簡単だったのですが、やっぱり揚げてみたかったのです。

餡をきっちり作らないとやっぱりダメだな。
ちょっと反省です。

2013/01/12

【ふくしまおうえん】もう一つの「八重の桜」 #福島 #fukushima_baton #47e

【ふくしまおうえん】 exact福島 47ふくしまおうえん隊 新潟から応援中。

2013年 NHKの大河ドラマ「八重の桜」の初回をようやく見ました。
会津の話のなので興味深く1話を見て、この後の展開が楽しみになってきました。

さて、喜多方市に住み始めた頃、ある女性の名前があちこちに書いてある事に気付きました。
そして、女性の銅像。
最初は、どこかで耳にしていた新島八重さんの像かと思っていたのですがどうやら違うらしい。
しかも、喜多方の人にしてみればかなりの有名人で「エッ?知らないの?」と、なんど言われた事か。
その人の名前は、「瓜生岩子(うりゅういわこ)」
どうやら喜多方の小学校等で小さい頃からその名前は教わっているようで、誰もが知っていました。

新島八重が『幕末のジャンヌダルク』と、例えられるなら
瓜生岩子は『日本のナイチンゲール』と例えられているそうです。

新島八重が産まれる約20年前に産まれ、戊辰戦争の際には敵味方の区別なく負傷者の手当を行ったと言います。そして、日本の社会福祉の礎を築いた人だそうです。
新島八重にも影響を与えているとか。
大河ドラマにも出てくるのでしょうか?

会津の人は、頑固な男性像(失礼)というイメージがありますが、女性が頑張った所でもあるのですね。

私は詳しい話を知らないので詳細はこちらをどうぞ。苦笑。
八重のふるさと福島県
喜多方市ホームページ
瓜生岩子記念館

瓜生岩子でググると、さすがに今は新島八重がらみでたくさん出てきます。
会津へ観光へ訪れ、喜多方へラーメンを食べに行くついでにもう一つの「八重の桜」に想いを寄せてみてはいかがでしょうか?
あ、八重ではなく「岩子の桜」ですね。

また、「八重と会津博」が開催されて「大河ドラマ館」もオープンしたそうです。

八重のふるさと、そして岩子のふるさと会津へ是非どうぞ。

エスクードなのに。エスクードなのに・・・。

車 エスクードの調子が悪いのでスズキのディーラーへ行って来た。

4輪駆動にならないのです!
パネルの4WDのランプは点灯してるのに!
エスクードなのに。

ディーラーさん曰く。
「故障の時は、4WDのランプが点滅するのですが、これは点灯しているので何故4輪駆動にならないのか原因が不明です。」

・・・ちょっと待て?
年末までは、というより2年位前から4WDのランプは点滅していたぞ。
それを見てもらった時はそんな話はなかったぞ。
「接触不良でしょうからこのまま乗って下さい」
と、言われたぞ。

他にも調子の悪いところがあるので修理見積もりをもらったら、4WDの修理に約8万円。
他の部分の修理には約10万円。
距離も乗っているのでそろそろ乗換を考えた方が・・・と、言われてしまった。

あぁ、どうしようかな?
頭痛い。

しばらくは、FRのエスクードを楽しもうか。苦笑。
凍結道路の発進でケツ振りまくりなんだよなぁ。
エスクードなのに。

「八重の桜」の第1話をようやく見たのだけど、肝心なところで・・・

先週から始まった NHKの大河ドラマ「八重の桜」の第1話をようやく見ました。

会津は、喜多方に12年間住んでいて結婚をし、子供が産まれた土地です。
想い出がたくさんある場所です。

そんな想いがあるからでしょうか、オープニングですでに涙目。
感情の高ぶりってこういう事を言うのでしょうか?

一旦、ビデオを止めて気を落ち着かせてから  見ました。
なんとなく会津弁が身についていない感じがありましたが、あぁ会津だ。と懐かしさがこみあげてきます。

しかし、何と言う事か途中でビデオが終わってしまった。
ディスクが一杯になったのか。
放映時間が初回は長いのに通常の時間で録画されてしまったのか。

あまりに中途半端なので今日の再放送を撮り直す事にしました。
だから「八重の桜」を見たと言っても、実はまだ見ていないようなもので・・・

後で,もう一度見直す事にしましょう。

陸前高田から牡蠣が届いた!

陸前高田の友人から牡蠣が届きました。

養殖の牡蠣は、東日本大震災の津波で全滅してしまい、ようやく養殖筏が組まれ第一歩を踏み出したところとの事。
実際、まだ牡蠣を出荷するところまでにはいたってないのだそうです。
その牡蠣を頂きました。

ただ時期が時期だけにノロウイルスの心配なんかもあったのでしょう。

「生食はダメ!」
「火を良く通す事!」
「牡蠣に触ったら、必ず手を洗う事!」

との、諸注意を受けての調理となりました。
(自分が調理したわけではないですが・・・)

早速、夕食は牡蠣フライ。

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せっかくなので「新潟限定ビール 風味爽快ニシテ」を飲みながら頂きました。
プリプリして、しっかりした味の美味しい牡蠣でした。
隣の皿は、牡蠣の佃煮です。

牡蠣が余ったら牡蠣フライの衣をつけて冷凍保存しておけば良いよ。
いつでも牡蠣フライが食べられるから。
と保存方法を教わっていたのですが、母が佃煮にしてくれました。

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この他にも、味噌汁に入れてみたりと、こんなに牡蠣を楽しんだ事は無い気がします。
ごちそうさまでした。

本当に、早く復興して以前のように美味しい牡蠣だけでなく、おいしい海産物を出荷できるになると良いですね。
もうひとがんばりでしょうか。

陸前高田の海産物を食べて応援。
そんな事ができる日が一日も早く来る事を楽しみにしています。

2013/01/05

手抜きも何も、水に流してるじゃないか!

最近、山の中の除染で、葉っぱを山積みしてるとか、川に流れているとか言って手抜き除染が問題になってるけど、今更?って感じです。

去年の3月に福島市へ行った時、橋の上で防護服を着た人が高圧洗浄機を使って除染をしていた。
当然、橋の上を除染した水は橋の下へ流れ落ちるわけで。
その橋の下には川が流れているわけで。

それ以外にも高圧洗浄機でドバーって水を流して除染している光景はニュースで何度も目にしています。
あの水は当然回収されていないですよねぇ。

福島県は、大きく分けると阿武隈高地で海側と内陸に分かれています。
そして、内陸に流れる川は阿武隈川を本流としています。
つまり町中を除染した水は、ほぼ全てが阿武隈川へ流れ着くはずです。
福島の母なる川が日に日に汚染されているような気がしてなりません。

さらにその流れ着く先は、宮城県なんですよね。
阿武隈川の状態ってどうなってるんだろう?
行政は、なんか簡単に流せばいいやって、思ってませんかねぇ?

お昼に 味噌バターラーメン を作ってみた。

今日のお昼は味噌バターラーメンを作ってみた。

【材料】
・インスタント味噌ラーメン(マルちゃん昔ながらのみそらーめん)
・白菜・豚肉・ブナシメジ・もやし・バター・牛乳

【作り方】
1:もやしを軽く茹でる。(シャッキとした感じで)
2:茹でたもやしを水にさらしてザルに揚げておく。
3:白菜を適当にちぎり、ブナシメジをほぐす。
4:豚肉は細切りにする。
5:鍋に分量の半分より少なめの水と同量の牛乳を入れて火に掛ける。
6:白菜を鍋に入れる。鍋が噴きこぼれないように中火にする。
7:お湯が沸いたら肉を入れて火を通す。
8:シメジを入れる。
9:インスタントラーメンを入れる。
10:麺の堅さを見ながら時間より短めに火を止める。
11:ラーメンスープを入れて溶く。
12:丼によそい、もやし、バターを乗せる。

クリーミーな感じの味噌バターラーメンができあがります。
ラーメンスープは 2/3 位にすると良いかも。
今日は、麺4つにスープは 2つ半を使いました。
もう少し濃い味でも良かったかも。

でも、美味しかった!
ごちそうさまでした。


2013/01/04

仙台をウロウロしてきた。〜その4〜(食べ歩き)

仙台と言えば“牛タン!”と、いうことでお昼は牛タンを食べに行く事にしました。

青葉城址から元来た道を下り、仙台市内へと戻っていきます。
市内は、買い物客、観光客で大混雑!仙台駅へ近づくほどに車も増えていきます。
お土産物屋で牛タンマップを手に入れたのでそれを見ながら検討をつけて、仙台駅の東口方面へ行く事にしました。
以前、仙台に来た時に家族で食べた牛タンがあまりにも堅くて食べずらかったので、今一印象が良くありません。
むしろ東北道の菅生SAで食べた牛タン定食の牛タンが我が家では最高の牛タンとなってます。

先日、出張で東京へ行った時に東京駅にある利休の牛タン定食がおいしかったので、今回は利休を目指す事にしました。

だいたいこの辺りと言うところで駐車場に車を置いて「利休 東口本店」へ。

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混んでいましたが、5分ほど待って店内へ入る事ができました。
ただ、注文してからが長かった。
結構待って牛タンとご対面です。笑。


「利休セット」
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「牛タン丼定食」
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「東口本店限定 特別定食」
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の3種類を注文。それぞれ結構なボリュームがあって大満足。
というかお腹いっぱい!

次に向かうは、「仙台市 歴史民俗資料館」という所。
何気なく見つけた『特別展「おやつ ~今や昔の甘味事情~」』というのが妙に気になって行ってみる事にしました。
場所は、仙台駅東口から楽天イーグルスの本拠地クリネックススタジアム方向へ行ったスタジアムの手前にある榴岡公園です。

公園は芝生の広い公園で、多くの人が思い思いに休日を楽しんでいました。
ベンチで麻雀を楽しむ人達までいました!

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その一角に歴史民俗資料館はあります。

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そして、お目当ての特別展はこれ。

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江戸、明治、大正、昭和と、時代を追ったお菓子の変遷を見る事ができます。
砂糖の無かった時代から、グリコや明治チョコレートなどおなじみのおやつまで。
なかなかおもしろかった。
他にも仙台地方の昔の風景や農具、様々な工具、昔の遊び道具等々。
昔のおもちゃで遊ぶコーナーもあり子供達は大喜びで遊んでいました。
息子は割り箸鉄砲をもらって大喜び!

この建物は旧日本陸軍の兵舎だったこともあり、陸軍の宿舎を再現したコーナーもありまさに日本の歴史がギュッと詰まったような資料館でした。

ふと、窓の外を見ると公園の芝生広場を一杯に使って大学生らしき人達がフリスビーを使ったラグビーっぽいゲームをしていました。

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おそらくアルティメットというゲームのようです。
ものすごく楽しそうでした。

さて、そろそろ帰路につかなければ、と言う時間なのですが。
「ずんだ餅を食べたい!」
と、娘が言い出しました。 Σ(゚□゚ノ)ノ

実は今朝、ホテルの朝食バイキングに白玉にずんだをかけたずんだ餅を食べ、
青葉城址のお土産屋で売っていたずんだ餅を食べ、
お昼の牛タンでお腹が一杯だというのに・・・
まぁ、高速道路のインターへ向かう途中なので寄ってみる事にしました。

再び瑞鳳殿の方角へ進み、東北大学片平キャンパスの向かいにある村上屋餅店へ。

あぁ、最後の最後に写真がボケて、しかもづんだ餅の写真取り忘れたぁ。
今朝ホテルで食べたのは、ちょっと論外の味。
青葉城址で食べた「ずんだ餅」は、みたらし団子のずんだバージョン。
これはちょっと粒の残ったずんだでおいしかった。
そして、村上屋餅店の『づんだ餅』!「ずんだ」ではなく「づんだ」とのこと。
これが『うまい!』
づんだは、裏ごしをしたかのようななめらかなクリームのようで、ほどよい甘さ。
自分が今まで食べた「ずんだ」とは明らかに違う物でした。
寄って良かったぁ!
・・・お腹はち切れそうだけど。
(実は自分だけ後から食べたのは内緒です)

今回の旅行は、震災の爪痕も目にしましたが、楽しく、面白く、美味しく、大満足な旅行になりました。
「復興支援の為」なんて肩肘張らずに、気軽に東北を旅するのも良いですね。
次の光のページェントの時は、どこを見て回ろうかな?なんて今から楽しみです。


2013/01/03

仙台をウロウロしてきた。〜その3〜(青葉城址)

瑞鳳殿を後にして次は伊達政宗の居城跡、青葉城址へと向かいました。

広瀬川にかかる大橋を渡り左折し青葉城址へと登る坂道は現在工事中。
その為、東北大学へと直進し大きく迂回して山を登っていきます。
この辺りはほぼ東北大学の校内。
**学部という表示があちこちに見えます。
学生時代、東北大学の知り合いもいたし、仙台へも何度となく来ているのですが東北大学へ来るのは実は初めて。やっぱり大きな大学って良いなぁ。
娘に「ここを受験したら?」と、言ったら「無理!」とあっけない返事。わかっているのですがね。

さて、大学を抜けると青葉城址。天守閣のあったところです・・・と、言いたいのですがこのお城、天守閣を建てる構想はあったものの徳川家康に「天下は望まぬ」という意思表示のため建てなかったとの事。
と、言う事で本丸跡へ。現在ここには護国神社があります。

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護国神社に参拝し、おみくじを引いたあとお土産売り場に併設されている「青葉城資料展示館」へ。
仙台城(青葉城)をCGで再現!と、言う言葉に結構期待していたのですが。
CGはそれなりにすごいのですが。ナレーター役が変なアニメ(失礼)で、ちょっとガッカリ。
展示物の方がいろいろあり、仙台城復元模型なんかも良かったので、まぁ良しとしましょう。
復元模型を見ると難攻不落の城というのが良く分かります。
(攻められた事は無いようですが)

資料館の出口に東日本大震災で被災した月の浦の支援募金がありました。
月の浦は、伊達政宗の命を受け支倉常長を中心とした慶長使節団がメキシコ〜スペインへ向けて出向した港がある場所です。

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石巻へ行った際に、「慶長施設船ミュージアム サンファン館」という標識を見て気になって行ってみようかと思っていたのですが、時間的に行けませんでした。
もっとも、現在は震災の影響で閉館中との事。
そのサンファン館というのは、使節団一行を乗せ、太平洋を往復した木造洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」の復元船を係留展示している所で、その地が月の浦と言う事らしいです。

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早速、募金。

資料館を出て、城主に会いに行こうとふと見上げると、そこにはドラえもんが!

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改めて、冷静に見るとただのブルーシートにくるまれた物体なんですが。
しかも、耳があるんですが。
その時はそう見えて子供達に「ほら、ドラえもん」と、言ったら「どこが!」と言い返されてしまった。

さて、気を取り直して城主、伊達政宗公の元へと参ります。
ドーンと、目の前に現れた正宗公。
その眼差しは太平洋へと向けられているそうです。

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正面へ回ると、なにやら侍がいるではないですか。

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どうやら「奥州・仙台 おもてなし集団 伊達武将隊」だとか。
最近あちこちで増えているおもてなし武将隊の仙台版です。

観光客とみると結構気さくに声を掛けてきます。
最初に隠密の空殿が「どちらから参られた」と、声を掛けてきました。

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「写真をお撮りいたしましょう」と、言われたのでお願いしました。
「隠密」なのに、気さくな方です。

この日は、伊達政宗公はいらっしゃらなかったようです。
他には片倉小十郎殿がいらっしゃりました。
こちらは、さすがカメラを家来に預け、一緒に写真に入る方がメインでした。

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ちなみに、左が片倉小十郎殿、右が足軽組 風太殿だそうです。
他にもくノ一とかいるようですが、この日はお休み(笑)だったようです。

この本丸からは仙台市内を一望できます。

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こんなに高層ビルが建ち並ぶとは、さすがに伊達政宗公も思わなかった事でしょうね。

さて、土産物屋でずんだ餅を買って小腹を満たしたのですが、それでもお腹もすいてきたので下界へ降りてお昼を食べに行きましょう。
もちろん、仙台と言えばあれを食べに行きます。

〜つづく


2013/01/02

仙台をウロウロしてきた。〜その2〜(瑞鳳殿)

今回、仙台へ出かける前に長男にばあちゃんが「仙台に江戸時代の門松が復元されたから見ておいで」と、話したらしい。

で、子供達はすっかり「門松を見てこなくちゃ!」というモードになっていた。
調べてみると瑞鳳殿にその門松があるらしいのでそこへ行ってみる事にした。
瑞鳳殿は、「仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)」なのだそうです。
名前は聞いた事があったのですが、行った事は無かったので初めて訪れました。

まずは「御位 牌安置所 瑞宝寺」へ行ってみた。
門をくぐると傍らになんだかかわいらしいお地蔵様が並んでいました。

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境内はシンと静まりかえり厳かな雰囲気。

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お参りをし、これから瑞鳳殿へ入らせてもらいます。と、お断りをしました。
境内にはこの様な方もいらしたのですが、河童?豚?これはどなたなのでしょうか?

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謎の方を見つつ門へ戻ると傍らにこんな看板が・・・。

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実は、入った際にも気付いていたのですが、どなたにも合わず、拝観料を払う機会が無く出てきてしまいました。・・・罰当たり者でしょうか?

そこからいよいよ瑞鳳殿へと向かいますが、その坂道の入り口に貸し出しの杖が置いてあります。
そんなに急な坂道なのでしょうか?

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道は瑞鳳殿へと登っていきます。

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凛とした竹林の中を・・・

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更に登っていきます。

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途中、拝観料をちゃんと(笑)支払い。いよいよ瑞鳳殿へ。
ここが涅槃の門。
この門から先が「あの世」になります。

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この辺りには無料のボランティアガイドさんが何人かいらっしゃいます。
こちらからお願いしなくとも向こうから声をかけてきてガイドをしてくれます。
自分達は、ガイドしてもらっている人の脇にいて話を聞いていました。苦笑。
きちんと聞くと、いろいろ奥深い話を聞けたのでしょうね。
さて、涅槃の門をくぐり、階段を登り詰めたところに瑞鳳殿があります。
伊達政宗公の霊屋(おたまや)です。
死後もお供する事を名乗り出た家臣の方々も傍らにまつられています。

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戦争で消失し、その後再建された者という事ですが、外観が豪華で煌びやかで伊達家の栄華を象徴しているように思いました。
そして、これがばあちゃんに「見てくるように」と、話のあった「復元された門松」です。

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たまたま近くにいたガイドさんが何の気なしにこの門松の説明をしてくれました。
当時の文献に門松の作り方が載っているのを最近発見し、それを元に復元したのだそうです。
・・・ただ、ガイドさんが「なんでビニール袋をかぶっているんだろうねぇ。あれが余計だよねぇ」とも仰っていたのは・・・ちょっと笑ってしまいましたが、流す事にしましょう。

さて、涅槃の門に戻り無事「現世」に戻ってきて、更に先に進むと、伊達家二代藩主伊達忠宗公の霊屋「感仙殿」と三代藩主伊達綱宗公の霊屋「善応殿」があります。

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こちらは、ガイドも無くただ、ひっそりと佇んでいました。
この二つの霊屋の入り口脇に「経ヶ峰の達人 コウヤマキ」という看板があったのです。
コウヤマキさんって一体誰の事だろう?なんの説明も無いなぁ?と、思っていました。

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帰ってから調べたら、コウヤマキって、高野槙という植物、そこに生えている木の事だったのですね。
「達人」なんて書いてあるのでてっきり人の名前かと・・・。

そんな馬鹿な事を思いつつ、以外と楽しめた瑞鳳殿を後にして青葉城址へと向かう事にします。

〜つづく


仙台をウロウロしてきた。〜その1〜(光のページェントを見てきた。)

石巻から仙台へと向かい、いよいよ今回の旅行のメインイベント、仙台光のページェントを見に行きます。

仙台へと向かう三陸道は混んでいて、対面通行というのもあり流れがゆっくりでした。
それでもやがて片側2車線になるとスムーズに進み、徐々に市街地に近づいてくると高層マンションなどが見えるようになってきます。
いよいよ、仙台です。

高速から一般道へ降りると再び大渋滞。
国道45号線は、光のページェントの会場へ真っ直ぐ入っていく道路なので余計に混んでいるようです。
45号線沿いにあるホテルに予定より若干遅れて着き、身支度を調えるとすぐに出発です。
当初、駅の付近かフォーラスの近くで夕食を取ってアーケード街を散策しながら常禅寺通りへ行くつもりでした。
でも、心はすでに常禅寺通りにあったようです。
駅方向へ左折するはずの交差点で直進の信号が青だったので迷わず直進!
周囲は、ページェントへ向かう人ばかり。
何度も見ているはずなのに、ワクワク・ドキドキ!
やがて遠くに灯りが見えてくると「ページェントだ!」と、思わず口にする始末。笑。
通りは人で溢れかえっていました。

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会場の常禅寺通りに着くともう、子供達も大はしゃぎ。
写真を撮りまくり、
上を見上げて「うゎ〜」
左右を見て「うゎ〜」
と、大変です。

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しまいには、自分達も何のポーズをしているのか?訳わかんなくなってます。
本当は、翌日に「サンタの森の物語」というイベントがあって、サンタのパレードが見られるのですが、日程が合いませんでした。
それでも、光り輝くページェントの光景を見て大満足したところで、
「お腹がすいた」
と、一言。 苦笑。
夕飯そっちのけで会場へ来たのでアーケード街で夕食を食べる事に。

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アーケード街も人で溢れかえっています。
あーでも無い、こーでも無いと言いながらどうにか食事をし、ブラブラとフォーラスの方へと向かいます。

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途中本屋へ寄ったりしながらブラブラとフォーラス前の交差点までやってきました。
ここも相変わらず人が多かった。
交差点前のディズニーストアを冷やかした後、そろそろ長男が眠くなるのでホテルへと向かいました。

ホテルに着き、汗を流すと長男は速攻で爆睡。
かみさんと、次女と明日はどこへ行こうか?等と話しながらその夜は更けていきました。

〜つづく


小さな命を守りたい。なぎ君がんばれ!

年末にバスセンターでふと見かけて何気に募金をしました。

それが「なぎくんを救う会」の募金活動でした。
よくよく、ホームページを見ると長岡市在住の 梛(なぎ)君 2才が「拘束型心筋症」と診断され、余命1、2年と宣告されたのだそうです。
そして、この病気からなぎ君を救うには心臓移植しか無いとか。

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平成22年の改正臓器移植法の施行により15才未満からの臓器の提供が可能となったものの、6才未満からの方からの臓器の提供は過去に1例のみ。
一刻も早い心臓移植が必要なため、ご両親は海外での心臓移植を決意されたそうです。

しかし、渡航し、手術が実現し帰国するまでの費用は 1億6500万円だそうです。

小さな命を守ってあげたい。
募金活動を見かけたら些細ながら協力したいと思いました。

HomePage : なぎくんを救う会HP
Facebook : なぎくんを救う会FB


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