【ふくしまおうえん】会津慶長地震の後、再び会津地方を襲った地震がありました。この地震で会津西街道が通行出来なくなる被害が出たのだそうです。 #福島 #fukushima_baton #47e
三度会津の地震の話です。
会津慶長地震(1611年)から72年後、1683年に会津地方南部を再び巨大地震が襲います。
会津、下野地方を襲ったこの地震は、日光大地震と呼ばれています。
この地震により会津西街道、現在の国道121号線の五十里湖付近で崖崩れにより五十里湖と同様に大きな堰止め湖が出来てしまったのだそうです。
あまりの巨大さに「うみ」と呼ばれていたとか。
この「うみ」為、会津西街道は通行が出来なくなります。
そこで、新たに作られたのが会津中街道で、川沿いを進む西街道とは違い山越えのこのルート。
塔のへつり付近から東へ向かい那須岳、茶臼岳の西側にある三斗小屋温泉を通り、板室温泉へ抜けるのだそうです。
実は、このルートに近い田島町から山越えをして深山ダムを通り板室温泉へ抜ける林道をバイクで走ったことがありますが、ものすごい崖沿いの道でした。
あんなところをかつてはメインルートとして歩いていたんですね。
さて、前述の五十里湖ですが、地震から40年後、1723年8月10日、今度は大雨による増水で決壊します。(地震により決壊との記述も見られますが、大雨によるもののようです。)
この決壊により下流域が大洪水にあい被害を受けます。
ところが、40年前に五十里湖が出来たために避難、移住した人々がこの決壊により昔の住み慣れた土地へ戻ることができたのだそうです。
洪水という災害を受けたですが、土地へ戻れた喜びの方が大きかったのでしょう。
「うみぬけ10日」(うみの水が抜けた8月10日という意味)と呼んでお祝いをしたそうです。
また、会津街道も山越えの厳しい中街道から、川沿いの西街道が再び使われるようになります。
しかし、この233年後の1956年、五十里ダムの完成により再び集落が湖底に沈みます。
今度は、戻ることの出来ない湖底へ。
今ではすっかり観光地として人を集めるこの地域にも、かつては災害に襲われ苦労の末、今があるのだなと思います。
今回は、福島ではなく栃木の話になりましたが、会津街道の話なので書いてみました。
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